Quantcast
Channel: 勢蔵の世界
Browsing all 253 articles
Browse latest View live

帰ってみれば女房は人の妻

以下『梅翁随筆』による。 深川の材木商が、奉公人ひとりを伴い、上方に旅に出た。 箱根の山道を登って行くと大きな石に、真っ裸の男が放心状態で座っている。材木商は不審に思って言葉をかけると、裸の男はこう言った。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

思いは叶う

 小学4年生のある男の子。父は江戸友禅の職人。家に帰ると、弟子もたくさんいて、父も母も大忙し。自分の居場所は、学校の図書室でした。ある日、男の子は図書司書の先生に聞きました。 「どんな本を読んだらいいですか?」 先生は言いました。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

根尾谷の桜

...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

江戸のリサイクル

 200年も300年も前の話だから、職業も現代にないものがたくさんある。モノを修理、修繕する専門の職業が実にバラエティーに富んでいて面白い。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

銭形平次のこと

...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

男根を切断

   今日の稿は、タイトルの如くあまりいい話ではありません。気分が悪くなるおそれがあることを断っておきます。女性はなるべく遠慮なさるのが賢明です。  昨年8月に、元プロボクサー(24)が、弁護士の男性(42)を殴った後、枝切りバサミで男根を切断。その後、トイレに流すというなんともすさまじい事件が起きた。  同様な事件は、江戸時代にもおきている。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

御殿山騒動

                江戸名所四季の詠『御殿山花見之図』 広重   嘉永2年(1849)の春、晴天にさそわれるかのように桜の名所には花見客がどっと繰り出し、品川の御殿山も群集でごった返していた。 三田の伊予松山藩(久松家)の中屋敷の足軽18人が連れ立って御殿山に花見に出かけることになったが、普通の花見ではつまらない。そのころ、疱瘡(天然痘)が流行して、江戸では子供の葬礼が多かった。...

View Article

千代田の刃傷

  千代田の刃傷...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

浜松城訪問

 浜松城・御存知のように徳川家康が築城して天下人へ歩み出した本拠地である。そういったサクセス・ストリーもあって、「出世城」と呼ばれる。実際に数々の浜松城主が幕府の要職に出世した例が多い。老中になった水野忠邦もその一人である。もっとも忠邦は城主といっても一度も浜松城に来たことはないという。江戸期は天守閣などなく、1958年に鉄筋コンクリートで造られたそうです。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

中江兆民の見合い

 中江兆民は、フランスの思想家ルソーを日本へ紹介して自由民権運動の理論的指導者となり、東洋のルソーと評される。浅学ゆえにそれ以上のことは知らなかったが、明治期の代表的な奇行家として有名だったそうです。...

View Article

便所に落し物

   便所に落し物   (スカトロの尾籠な話であることを先にお断りしておきます) 文化四年(1807)の夏のこと。...

View Article

高潔な武士

高潔な武士...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

コロンブスのパスポート

  コロンブスのパスポート 「昭和37年、堀江兼一さんがヨットでの太平洋単独航海に成功」(日本出発は5月12日、米国到達は8月12日)この年は、5月に三河島事故(死者160人)、8月、マリリン・モンローの死、10月、ビートルズがレコード・デビューした。橋幸夫・吉永小百合の「いつでも夢を」が大ヒットした年である。...

View Article


松平忠郷のこと

ひょんなことから、二人の松平忠郷の存在を知りました。二人とも大きな事件に関連しています。天明4年(1784)3月24日、旗本・佐野善左衛門(諱は政言・番士27歳・500石)が、若年寄・田沼意知(おきとも・意次の嫡子・遠州相良・5万7000石・35歳)を「覚えがあろう」と3度叫んでから江戸城中で襲撃した。そばには、何人かの若者がいたが、突然の出来事に何もできなかったが、遠くから齢70になる松平忠郷(た...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

吉原で腹上死

歌川国貞筆。痴情のもつれから、廓の人々と対象の女性を惨殺する一場面を描いている。実際の事件というよりも、おそらく当時の読本などの挿絵的なものなのだろうが、卑猥さと残酷さを表現する画に魅せられてしまうのは、私だけであろうか。人間そのものの本能として、セックスと暴力がそこにある。理想の知性を希求するのが人間ならば、生殖することと争うことも、また古来止むことのない人の営みである。この絵と以下の文章とは何ら...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

「幾代餅」

 落語に「紺屋高尾」という名作がある。話の展開から細かな会話のやり取りまでほぼ同一である噺に「幾代餅」(幾世とも)がある。三遊亭、立川一門は「紺屋高尾」、古今亭一門は「幾代餅」を演じる。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

高田の馬場

 落語に「高田の馬場」という噺がある。あらすじは次のとおり。 浅草観音の境内で、がまの油売りをする姉弟。客寄せの口上を述べている。人だかりの中から、年の頃は60前後の侍が油売りに声をかけた。20年前に受けた古傷に、がまの油が効くか、と尋ねる。傷を見ないとわからぬと油売りの男がこたえると、背中に受けた古傷を見せ、昔、不義を働こうとして受けた傷であると懴悔話をする。...

View Article


両国川情死

  以下、石塚豊介子『街談文々集要』に拠る一文です。旧かな表現は直しましたから読むことができると思います。  文化元年(1804)五月四日の頃に両国川(隅田川)に身なげ心中あり。...

View Article

オリンピックの閉会式

明日は月がかわって8月1日。8月1日を「八朔」という。江戸時代、この日は、旗本・御家人・大名たちが、白帷子(しろかたびら)に長袴をつけて江戸城に登城して将軍にお目見えする「八朔」の儀式がとり行われた。この儀式は、天正18年(1590)8月1日、徳川家康が江戸入りしたことからはじまり、江戸城の年中行事となった。現在の新暦でいうと暑さも少し和らいだ8月30日あたり。柑橘類に「八朔」がある。名がついたのは...

View Article

「李下に冠を正さず」

「李下に冠を正さず」 漢の武帝は「楽府」(がふ)という役所を創設して、民間の歌を採集させた。民歌に込められた天意を探るためです。やがて「楽府」で採集された歌の模倣作が多く生まれると、その歌そのものを「楽府」と呼ぶようになってゆく。その中に『君子行』という歌があります。 「君子は未然に防ぎ 嫌疑の間に処(お)らず 瓜田(かでん)に履を納(い)れず 李下に冠を正さず 嫂叔は親授せず 長幼は肩を並べず...

View Article
Browsing all 253 articles
Browse latest View live