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Channel: 勢蔵の世界
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便所に落し物

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  便所に落し物
   (スカトロの尾籠な話であることを先にお断りしておきます)
 文化四年(1807)の夏のこと。
 幕臣・鍋島十之助の家来に、川島という小柄な男がいた。川島は数人と連れ立ち、浅草に遊びに行った。浅草寺を参詣したあと、並木町の茶屋にあがり、酒を呑んだ。便所に行ったところ、穴の上に踏み板をふたつ渡しただけの簡易なものだった。うっかりして、ふところに入れていた財布を便壺のなかに落としてしまった。財布には南鐐二朱銀七片と印形も入っている。竹竿などを使って取り出そうとしたが、うまくいかない。 ついに川島は着物を脱ぎ捨てて真っ裸になり、便壺のなかにはいって、足の先で底をさぐった。
 たまたま、女が数人連れで茶屋にあがった。ひとりが小用のため、便所に行った。まさか便壺のなかに人がいるとは知らず、着物をまくる。すると、下に人の手があった。
  「きゃー」
 女は叫んで気絶し、もろに便壺に落ちてしまった。茶屋は大騒ぎになった。
 大勢が駆けつけて川島と女を便壺から引き上げ、水をかけて全身を洗い清めた。
     (根岸鎮衛著『耳袋』に拠る)   以上参考.HP「江戸の醜聞愚行」
 
(根岸鎮衛は勘定奉行、南町奉行などを歴任した幕臣。著書『耳袋』は巷の珍談奇談を30年に亘って集めたもので、1000話に及ぶ)
 いくら大事な物をさがすためとは言え、真っ裸になり、便壺の糞尿のなかに素足を突っ込むのは、水洗便所に慣れた現代人の感覚ではとうてい信じがたい。しかし二朱銀七片といえば一両近い大金である。気持ちはわかる。
 年配者には記憶があると思うが、昔の便所は汲み取りであり、人々は物心ついたころから、その臭気や形状に慣れていたと思われる。ガキの頃、隣の幼馴染の少女(保育園)が、便壺に落ち、下半身糞まみれになって泣きながら洗ってもらっていた光景が記憶に残っている。人々は、糞尿に対して現代人ほど抵抗感がなかったのかもしれない。
 
「くそづけの かんざし せなあ色にやり」という江戸川柳がある。
 「兄(せ)なあ」とは田舎の若い者をいう。糞尿汲みとりのせなあが、糞の中から出てきたかんざしを、(よく洗って) 恋人にプレゼントする句である。身につけていた大切なものを落として泣く泣くあきらめた人は古来多かったことでしょう。
 江戸近在の農家では畑の肥料にするために糞尿を汲み集めた。それが大家の馬鹿にならぬ副収入になった。
 「雪隠や 黄金の山に 福の神」
「店中(たなじゅう)の 尻で大家は 餅をつき」
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