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Channel: 勢蔵の世界
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男根を切断

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  今日の稿は、タイトルの如くあまりいい話ではありません。気分が悪くなるおそれがあることを断っておきます。女性はなるべく遠慮なさるのが賢明です。
 
 昨年8月に、元プロボクサー(24)が、弁護士の男性(42)を殴った後、枝切りバサミで男根を切断。その後、トイレに流すというなんともすさまじい事件が起きた。
 
 同様な事件は、江戸時代にもおきている。
 駒込竹町に住む町人の女房は病的に嫉妬深く、ささいなことで亭主の浮気を疑った。文化11年(1814)4月1日の夜、亭主が熟睡しているのをみすまし、女房はカミソリでスパリと男根を切断すると、切り取った男根を持って出奔した。かねて計画していたのか、自分の髪の毛を切って残していた。
 亭主は痛みに泣き叫んだ。煙草の葉を傷口にあてて血止めをしようとしたため、かえって腫れ上がったという。                      (加藤曳尾庵著『我衣』に拠る)
 
 文政3年(1820)5月、鳴子坂のあたりに、煙管の竹筒に蒔絵細工をする職人が住んでいた。女房はかねてから間男をしていたが、職人はその現場に踏み込み、ふたりを捕らえて縛りあげ、近所の寺の境内に連れて行くと、間男の男根を切断し、女房の陰部をえぐり取ってから殺した。検死の役人がやってきたとき、女房の陰部には数匹のイタチが取り付いていたという。血をなめていたのであろう。
                        (藤岡屋由蔵編『藤岡屋日記』に拠る)
 
イメージ 1 昭和11518日、東京・荒川区の待合で阿部定←(当時32歳)が、愛人の料理店主・石田吉蔵(42歳)を絞殺。さらに男根を切り取って逃げて持ち歩いたという日本中が驚愕した事件があった。
 「上野動物園クロヒョウ脱走事件」、「二・二六事件」とあわせて「昭和11年の三大事件」と呼ばれている。
 
 男根切断といえば、司馬遷を思う。
 司馬遷は今から2千年前、匈奴の捕虜になった李陵を称えて漢の武帝の激怒を買い、宮刑を申し渡された。宮刑とは男根を切り取る刑で、その傷が腐臭を放つことから腐刑ともいう。
 司馬遷はその恥辱を歴史への執念に変え、15年を費やして130巻52万6千5百字の「史記」を完成させた。
 
 眉をひそめるような話ばかりでしたが、最後に「質草」というバレ噺を付けておきます。 
 昔は男尊女卑といわれますが、実際は嬶ァ天下が多かったようでございまして、ある、にぎり屋(貯めた金を使おうとしない人)のかみさん
 「なんだって、小遣いが足りない?冗談いっちゃァいけないよ。おまえさんて人ァ、どうしてこう稼ぎが少ないのかねえ。人間が間抜けなようにきっと仕事もドジなんだろう。 稼ぎが少ないくせして、人並みに飲みたい、遊びたいなんて、そりゃぜいたくてえもんだよ」
 てんで、財布のひもをゆるめてくれない。こういう亭主ァ、みじめなもんで、やけくそで外へ出る。友人からいくらか金ェ借りて、一杯飲んで、その勢いで女買う。
 「金を返すあてもなし、こいつァ弱ったなァ」
 と女と遊んでいるうちに、ひょいとうまい手を考えた。
 自分の逸物(いちもつ)を、細いひもでくくって、尻のところへはさんでおいて家へ帰ります。

 「どこへ行ってきたんだい。遅いじゃないか」
 「うん、急に金が入り用になって、質屋に行って来た」
 「質屋?おまえさん、質草なんかあるのかい」
 「ねえさ、ねえけど二分(半両)借りた」
 「二分?何を入れたんだい?」
 「俺の一番、大事な物よ。男の道具だ」
 「えッ、切ったのかい」
 「そうさな、くっついたまンまじゃァ、一文にもならねえからな」
 「ちょっと見せてごらんよ」
  てんで、ふんどしを外して見せると、なるほどあるのは、ヒゲばかり。
 「ゲッ、何てことしてしてくれたんだい、あたしに黙って…。これですぐ請け出してといで」と、一両出します。
 「借りたなァ、二分だ。こんなにやァいらねえ」
 「なァに、もし質屋さんに、誰かので、すばらしく大きな質流れがあったら、そいつを請け出して、付け替えておいで」
 
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