Quantcast
Channel: 勢蔵の世界
Viewing all articles
Browse latest Browse all 253

銭形平次のこと

$
0
0
 
イメージ 3銭形平次はもちろん実在した人物ではありません。野村胡堂の小説『銭形平次捕物控』のなかの主人公である。1931年から戦争を挟んで1957年までの26年間、長編・短編あわせて383編が発表された。作者の野村胡堂は、文藝春秋から「岡本綺堂の半七捕物帳のようなものを」と依頼され、構想を練った。そのとき、たまたま建設現場で見かけた錢高組の看板と社章から「銭形」の名前と投げ銭を思いついたという。(左上は錢高組の社章)
大川橋蔵が、18年にわたって主役を演じ、ドラマ史上最長の全888話という金字塔を打ち立て、ギネスブックで「テレビの1時間番組世界最長出演」と認められた。
平次親分は明神下、神田明神の東側の坂を下った辺りに住んでいた。その縁で神田明神境内には寛永通宝を台座にした「銭形平次」の碑が建っている。その脇には「八五郎」の碑が寄り添うように建つ。出版社や映画製作会社、テレビ局、俳優、関係者らが発起人となって、昭和45年に建立されたものである。
 
イメージ 2銭形平次がピュッと悪人に投げつけるのがこの寛永通宝。おそらく一文銭ではなく、一回り大きい四文銭の方であろう。右に写真を付けておいたが、同じ寛永通宝でも大きさがまったく違う。四文銭は、裏面に波形がデザインされているから「波銭」と呼ばれた。今なら百円くらいだろうな、と勝手に思っています。串団子や大福が4文、湯屋が8文、そばが16文、髪結いが28文というように、値に4で割れる数字が多いのは波銭の普及による。
 
銭といえば落語の「孝行糖」や「松山鏡」で、青緡(さし)5貫文を、孝行息子がおかみから頂くという話がでてくる。これは特に目立った親孝行や忠義者に与えられた実際にあった報奨金で、銭を青く染めた麻紐で括ったものです。1文銭1000枚で1貫文。1貫は3,75キログラムの重さでもある。銭相場は寛政期には1両が6貫文になるから銭5000枚は1両にもならないが、重さは18キロになる。
 
イメージ 1四国遍路の途上に、高台から見たことがあるが、香川県観音寺市には銭形砂絵がある。このことから寛永通宝が観光資源として位置づけられ、平成22年から市内では寛永通宝(銅一文銭)を130円で使用でき(使用可能店)、商店は当局に30円で買い取ってもらえるそうだが、コインコレクターでもなければ、所持している人はいないですね。
 
 
 http://history.blogmura.com/にほんブログ村 歴史ブログ  

Viewing all articles
Browse latest Browse all 253

Trending Articles