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Channel: 勢蔵の世界
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オリンピックの閉会式

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明日は月がかわって8月1日。8月1日を「八朔」という。江戸時代、この日は、旗本・御家人・大名たちが、白帷子(しろかたびら)に長袴をつけて江戸城に登城して将軍にお目見えする「八朔」の儀式がとり行われた。この儀式は、天正18年(1590)8月1日、徳川家康が江戸入りしたことからはじまり、江戸城の年中行事となった。現在の新暦でいうと暑さも少し和らいだ8月30日あたり。
柑橘類に八朔」がある。名がついたのは明治19年で、八朔(むろん旧暦の)頃から食べられたからと伝えられている。実際にはこの時期にはまだ果実は小さく、現在では12月~2月ごろに収穫され、12ヶ月ほど冷暗所で熟成させ酸味を落ち着かせたのち、出荷されるという。
 
さて南米初開催となるリオデジャネイロ五輪の開幕まで1週間を切りました。
初めて南半球でオリンピックが開催された1956年のメルボルン大会。この大会ではもうひとつオリンピックの歴史を塗り替えた出来事があります。
 戦後10年経ったとはいえ東西冷戦の中、スエズ危機、ハンガリー動乱が発生するという不穏な世界情勢の中で開かれた大会。敵対する国同士の試合では小競り合いから乱闘騒ぎになる競技もありました。そんな緊張をはらんだ大会中、オリンピック組織委員会に一通の手紙が届きました。
 差出人は17歳の中国系オーストラリア人の少年。手紙には次のようなことが提案されていました。
 「オリンピックでは、戦争、政治、国籍をすべて忘れて、1つの国になってほしい。閉会式は五輪というドラマのクライマックス。すべての戦いを終えた選手たちが、垣根を越えて、オリンピックという一つの国家になって入場できないでしょうか」
 閉会式。この少年の夢は予告なしに実現しました。
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万人を超す観衆の前に、アメリカもソ連も、男性も女性も、黒人も白人も、すべての選手が渾然となったパレードが繰り広げられたのです。だれもが楽しげに、満面の笑みで観衆に手を振る閉会式。それはそのまま世界の友好・平和・調和のメッセージとなりました。閉会式の入場が国別でなく、各国の選手が入り混じって一体となった形をとるオリンピックは、このメルボルン大会から始まったのです。
 そして、44年後。あの手紙の差出人ジョン・ウィンさんは、再びオリンピックが南半球で開かれた2000年シドニー大会の閉会式に招かれ、少年時代の夢の形をその目で見ることができました。     (参考「FMFUKUOKA」)
 
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