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Channel: 勢蔵の世界
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サルのこと

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 今年はサル年なんだそうで。「猿年」と書かずに「申年」と書かなければいけない。
 「」の十二支の字は、順序を表す記号であって動物とは本来は関係なく、人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたとされている。もちろん十二支の字は、はじめから動物つきで中国から日本に渡って来た。その歴史は古く、紀元前200年代の秦の時代には既に(動物つきで)成立していたことが分かっている。
 
 日本ではサルと言えば「猿」の字を書くが、中国では「猴」の字を書く。では「猿」とは何かというと、テナガザルのことをさすという。「猴」と「猿」の区別は、厳然とあったようで、テナガザルは森林の濫伐のため、分布が南に退くにつれて、両者は混同されたようです。唐代のころまでは長江流域にいくらでもいたそうです。
 日本のサルの鳴き声は悲しくはないが、テナガザルの鳴き声はとても悲しくきこえるようで、杜甫は「三聲涙」と、三声で涙がこぼれたとのこしている。
 
 日本にはサルのこという「猿猴」(えんこう)という熟語があった。テナガザルを含めたサル一般を指すものではありません。日本には日本ザルしかいないんです。
 江戸の川柳に「猿猴のすみかに桃山うってつけ」、「朝鮮まで猿猴は手を伸ばし」というのがある。桃は猿も大好きである。歴史では信長・秀吉が活躍した時代を安土・桃山時代という。この両句の猿猴は秀吉のことをいったものである。
 イメージ 1「猿猴捉月」(えんこうそくげつ)という言葉がある。猿が井戸に映った月を取ろうとしておぼれる、人も身の丈を知れという故事ですね。
 「えんとこう鳥居のきわで待っている」(江戸川柳)という句は、何のことか分からないでしょう。「えん」と「こう」という女性が月の障りのために神社の境内に入ることが出来ずに鳥居の横で知人の参拝するのを待っているという情景です。江戸時代、女性の月の障りのことを隠語で「えんこう」といった。想像するに「猿猴捉月」の月に掛けたものか。サルの尻の赤さからのものか。
 
 長江の猿のことに戻る。西暦347年に東晋の桓温(かんおん)という将軍が、蜀の地にあった成漢に攻め込もうと、三峡(長江の上流の渓谷)までやってきた。兵の一人が猿の子を捕らえて船に連れてきた。子を捕らえられた母猿は、岸を伝って哀しげに叫びながら、百里以上もついてきて(当時の中国の一里は400m) 船が岸に近付くと飛び移って来たが、途端に絶命してしまった。その母猿の腹を割いて見ると、腸(はらわた)がずたずたに千切れていたという。
 この故事から耐え難い悲しみのことを、「断腸の思い」というようになったという。
 
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