明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
榎本武揚は「ぶよう」か「たけあき」か?
歴史を学ぶうえで、どちらが正しい呼び方なのか迷うことがしばししばある。表題の榎本武揚もそうだが、徳川慶喜も「よしのぶ」か「けいき」なのか、木戸孝允は「たかよし」か「こういん」なのか。
結論からいうと、どちらも間違いではないのです。
慶喜のお孫さんである榊原喜佐子さんの『徳川慶喜の子ども部屋』(草思者)に、「邸では祖父を(ケイキさま)(ケイキ公)、お位が従一位なので(一位さま)とお呼びしていた」とある。「よしのぶさま」と言うより、「けいきさま」と音で呼ぶほうが、敬意をこめた呼び方なのであろう。また明治8年に出た『仮名傍訓 公布の写』という本は、「徳川慶喜」のふりがなをすべて「とくがは・よしひさ」で通しているからややこしい。
実名(諱・いみな)をどう呼ぶかは当人と親族くらいしか知らないということがしばしばある。大石内蔵助の諱「良雄」を「よしを」説、「よしかつ」説、「よしたか」説と三つあるが、祖父・大石良欽と同じ「よしたか」と呼ぶようです。
榎本武揚は通称「釜次郎」。オランダ留学から帰って軍艦奉行になって以後「和泉守武揚」と名乗ったという。司馬遼太郎氏によると神田和泉町に家があったから「和泉守」と称したとある。勝海舟は日本で最も小さい国はどこだろうと訊ねて「安房守」と称したというから、幕末の官名もいい加減なものである。
明治の『大日本人名辞書』は「エノモトブヤウ」、昭和12年『新撰大人名辞典』では「エノモトブヨー」である。明治の初め、日露の千島樺太交換条約の彼の署名に「Enomotto Takeaki」とある。戦後の広辞苑は第一版から「タケアキ」です。わけがわからない。
菊池寛の親友・芥川龍之介の句に「ヒロシとは俺のことかと菊池寛」というのがある。菊池寛はペンネームではなく本名で、「キクチヒロシ」であるが、「キクチカン」と言ってこそ重みを持ち、敬される。誰かが「キクチヒロシさん」と呼んだ。菊池寛はジロリと呼んだ人を見て「そりゃわたしのことですかい」という句である。無論不機嫌で、「なれなれしく呼ぶな」というところだろう。
榎本武揚も菊池寛も(世間に知られた人は)自分が自分の名を訓で名乗るのはいいが、人からは敬意を込めて音で呼んで欲しいということなのであろう。