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Channel: 勢蔵の世界
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「生きざま」

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 先月、澤穂希さんが、引退の会見で 「(残りの試合を)今まで応援していただいた皆様への感謝を込めて精一杯プレーし、“サッカー選手・澤穂希”としての生きざまを見せたい」と語った。現役中は懸命にプレーするのは当然じゃないか。それを「生きざまを見せる」とは、なんと厚かましいオーバーな表現なのだろうと思った。
 
イメージ 1貴乃花親方が3年ほど前に、自伝「生きざま」という本を出している。人のことを敬して、「あの人の生きざまは見事だ」と語るのはまだいいが、「自分の生きざまを見ろ」と主張する本には尊敬する気持が引いてしまった。
 
 「goo国語辞書」によると
いきざま【生き様】とは 《「死に様 (ざま)」からの連想でできた語とされる》 その人が生きていく態度・ありさま。生き方。 とある。
「死にざま」は見苦しい死に方に決まっている。「いい死にざまだ」というのは、いやな奴が見っともない死に方をしたのを、嫌悪を込めて言う時の言葉である。「死にざま」があるんだから「生きざま」が生まれたのであろうが、その「死にざま」が見苦しいのだから「生きざま」も、ロクでもないものであろうと思ってしまう。
誰しもが、人生は誇りたい部分と、語りたくない見苦しい人生のミックスであろうと思う。たとえば、貴乃花親方は兄との確執の詳細や、宮沢りえとの破局には触れていない。いいとこ取りしてなにが「生きざま」だ。
 
落語をやり始めて2年3年我慢して続けていると、誰しもが「サマ」になってくる。(上手い下手はまた別です) この「サマ」は「ようす」、「見た目」の意で、それもかならずプラス評価ですが、濁らせて「ザマ」というといけない。たちまちマイナス評価になる。「いいザマだ」といえば軽蔑、嘲笑で、濁りを取って「いいサマだ」といえば讃嘆で、まったく違う。
このように「さま」は目に見える様子であろう。「死にざま」は長く患うこともあるが、ふつう短い。「生きざま」の「生きる」ことは、長いし複雑であるから「さま」が生きることに付くことがおかしい。
 
10代の頑張っている子が「僕の生きざまを見ろ」と言ったら、20代の者は笑うであろう。同様に、3~40代の者が言ったら6~70代の者は笑ってしまう。たしかに澤さんと貴乃花は普通人の数倍、いや数十倍も汗を流したであろう。敬されてもいい。でもまだ人生半分じゃないか。「生きざま」なんて言葉を使ってほしくないと思う。
ここまで記して読み返してみると、どうも重箱の隅をつつく感もしなくもないが、諸氏は如何思われますかな。
 
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