我が母のこと
あまりいい話とは思いませんが、愛する母への追憶を語りたいと思います。
入院前に母は、こんなことを話しました。
「私は嫁に来てから一度たりとも昼寝をしたことはない」と。
風邪をひいたり、体調がすぐれぬこともあったのであろうが、それほど丈夫で、働き通した人でした。農家の7人兄弟の2番目に生まれ、少女時代は常に妹弟を背負っていたために、身一つの時はなかったという。
彼女の両親は、彼女を「ツー」と呼び、友人は「ツーちゃん」と呼んでいました。二番目に生まれたからではなく、「つゆ子」という名前による。
私のオヤジは幼いころ父親をなくし、祖母は苦労して一人息子を育てあげた。母は嫁いでから、姑との関係がよくなかった。気丈な女二人がひとつ屋根の下に暮らせば、うまくいくはずがない。姑で苦労したせいか我が女房との関係は気を使い、言いたいことは山ほどあったであろうに、愚痴は言わずに、私が板挟みになることはまったくなかった。入院中は女房が愛する姑を、実によく面倒をみてくれて感謝し尽くせない。
田沼時代の文人・蜀山人という人の辞世に
「今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」 という句がありますが、彼女もおそらくそんな心境だったかと思います。元気になって退院して、また働くつもりでいたに違いありません。容態の急変に家族は驚きましたが、一番驚いたのは本人だと思います。先月26日朝、冥土に旅立ちました。85歳でした。
5年前に愛する夫を亡くして、朝夕仏壇の前で手を合わして話をしていましたが、以来元気がなくなったような気がします。あれいけませんね。元気をなくすと病魔が忍び寄ります。今は愛する夫と再びめぐりあえて、手を取り合って喜んでいると思います。「冥福を祈ります」という遺族に云う言葉がありますが無用です。冥土での彼女の幸福を確信しているからです。
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