「へのこ」とは沖縄の辺野古ではありません。男根のことをさします。へのこに関するバレ江戸川柳を集めてみました。
へのこには手こずっているひとり者
独身者はへのこをもてあますのが共通する悩み。
ふとどきな女房へのこを二本もち
これは単なる不倫です。
小間物屋割りのいいのはへのこなり
このへのこは、張形のこと。張形とは男根の形をした性具。主に木や陶器、高級品となると水牛の角や鼈甲製もあった。行商する小間物屋は、女性客の欲求が満ち足りているか見定めて、底からそっと取り出す。値が張る商品は利益も大きい。
川越しのへのこが見えて安堵(ど)なり
蓮台や肩車で旅人を渡す川越し人足のへのこが見えるほど水量が少なければ安心だった。
へのこを匂わせて浅黄叱られる
参勤交代で江戸へ来た下級武士の着物の裏は、汚れの目立たぬ浅葱(あさぎ)色で、-緑がかった薄い藍色-浅葱色は田舎侍の代名詞だった。それでなくても嫌われる浅葱色が、匂いの強い強精や催淫軟膏をへのこに塗ったから、相手の遊女は激怒した。
唯我独尊とは弓削のへのこなり
「道鏡はすわるとひざが三つでき」という有名なバレ句がありますが、孝謙女帝の寵愛を受けた怪僧・弓削道鏡は、釈迦のセリフではないが、天上天下唯我独尊の巨大な持ち物で知られる。
男ならへのこを出せと四郎兵衛
吉原遊郭の大門入口の見張り所を、「四郎兵衛会所」と言った。男装で逃げようとする遊女を捕らえての第一声。元々は三浦屋という大見世の番頭、四郎兵衛が常勤していたために、この名前がついたそうです。
女房の角はへのこで叩き折り
なりも似て一字違いはきの子なり
親よりも栄華をしたり屁の息子
三句とも解説不要ですな。では何故「へのこ」と呼ぶのだろうか?
かの蜀山人は「屁の子」説を唱えています。
「後門の傍らに在るものなれば屁の子といふか」 蜀山人『金曽木』
『語源明解 俗語と隠語』岩木書房によると、「変の子」 陰茎。変な子の意。とあります。変な子には違いない。
バレ小噺をひとつ
夏のある日、お屋敷の塀の穴から覗いた不逞男、丁度庭にはお姫様が、全裸で行水をしていた。男は興奮してきて、自分の「へのこ」を穴から突き出した。姫がびっくりして、側にいた老女にたずねた「あれは何?」、老女は
「木に生えるのはキノコ、塀に生えるからヘノコでございます」
語源が「塀ノ子」からとは思えないが、新明解国語辞典によると
【へのこ】 (一)「きんたま」の異称。(二)陰茎。(第4版・第5版)とあります。
『言海』(ちくま学芸文庫版)には、次のように書かれています。
【へのこ】〔名〕|陰核|(一)「陰嚢ノ中ノ核。睾丸(きんたま)。和名抄「陰核、篇乃古」 (二)今、俗に、誤って、陰茎。
江戸時代には上記の川柳のようにすでに男根が「へのこ」と定着されていますが、もともとは「たま」の意味が主で、時代が下って(誤って)「魔羅」と同じ様に使われるようになったようです。まあこんなことは、どうでもいいことなんだが。