無法松の一生
作詞:吉野夫二郎、作曲:古賀政男、唄:村田英雄
小倉生まれで 玄海育ち
口も荒いが 気も荒い
無法一代 涙を捨てて
度胸千両で 生きる身の
男一代 無法松
口も荒いが 気も荒い
無法一代 涙を捨てて
度胸千両で 生きる身の
男一代 無法松
泣くな嘆くな 男じゃないか
どうせ実らぬ 恋じゃもの
愚痴や未練は 玄海灘に
捨てて太鼓の 乱れ打ち
夢も通えよ 女男(みょうと)波
どうせ実らぬ 恋じゃもの
愚痴や未練は 玄海灘に
捨てて太鼓の 乱れ打ち
夢も通えよ 女男(みょうと)波
昭和18年の阪妻、昭和33年の三船敏郎、昭和38年の三國連太郎、昭和40年の勝新と計4度映画化された『無法松の一生』をモチーフとした歌です。
古賀政男先生作曲の歌は好きで、20数曲は歌詞を見なくても今でも歌うことができますが、この歌はとりわけ好きです。阪妻と三船敏郎の映画は観ましたが、新しい(といっても昔だが)2作品は観ていません。物語を知らない若い人のために粗筋を記します。
酒、けんか、ばくちに明け暮れ、無法松と恐れられていた人力車夫・富島松五郎は、怪我をした少年・敏雄を助けたことから、その父で、小倉連隊の陸軍大尉・吉岡小太郎と知り合います。その縁で大尉を連隊へ送り迎えするようになり、親しくなる。
あるとき大尉は、何かを予感したかのように「俺に何かあったら、家族をよろしく頼む」と松五郎にいい、しばらくして急逝してしまいます。
彼の言葉にしたがって、遺族の面倒を見るうちに、松五郎は吉岡未亡人・良子を次第に思慕するようになります。
しかし、彼はそれを表に出すことなく、あくまでも気のいいおじさんとして良子と敏雄に尽し続けます。祇園祭の夜、一度は告白しかけたものの、それも抑え、以後吉岡家に出入りしなくなります。
しかし、彼はそれを表に出すことなく、あくまでも気のいいおじさんとして良子と敏雄に尽し続けます。祇園祭の夜、一度は告白しかけたものの、それも抑え、以後吉岡家に出入りしなくなります。
年老いた松五郎は雪中、酒を飲みながら歩いているうちに心臓麻痺を起こして死ぬ。あとには、未亡人と敏雄のためにせっせと貯めた貯金通帳が残されていました。
松五郎が「俺は汚い」と、未亡人に告白しかけた場面は切なくなりました。
この映画では『葉隠』の次の一節を思いました。
「恋の至極は忍恋と見立て申し候。逢ひてからは、恋の長(た)けが低し。一生忍びて思ひ死にするこそ、恋の本意なれ」
「忍恋」とは、一言でいえば永遠の片思いのことでしょうが、誰でもが恋をすると成就することを願います。恋が成就して結ばれると、相手との関係は変化する。関係の変化は情念の変質を引き起こします。たとえば、結婚すれば、恋情ではなく、夫婦愛になる。成就という言葉自体が、終わりを意味しています。抑制しているかぎり、恋は一生でも続きます。
「忍恋」とは、一言でいえば永遠の片思いのことでしょうが、誰でもが恋をすると成就することを願います。恋が成就して結ばれると、相手との関係は変化する。関係の変化は情念の変質を引き起こします。たとえば、結婚すれば、恋情ではなく、夫婦愛になる。成就という言葉自体が、終わりを意味しています。抑制しているかぎり、恋は一生でも続きます。
ぼん(敏雄)の大学の先生が、民俗学で祭りの研究をしているというので、祭りを見学に来たときに、松五郎が小倉太鼓をぼんの先生に披露する場面は圧巻でした。地元の古老が、太鼓の音を聞いて立ち上がり、「これが本当の祇園太鼓じゃ」とびっくりしたときは快哉でした。日本各地で見られる現代の和太鼓ブームは、すべてこの映画『無法松』にヒントを得たものであり、映画の中の「小倉太鼓」の亜流なんだそうです。
同じ小倉出身の松本清張氏の『黒地の絵』では、「遠くに執拗に鳴り続ける祇園太鼓の単調な音色がなって平常心を失わせ、米兵に暴動、強姦事件らを起こした」とあります。松五郎が叩く太鼓が、単調なリズムでは盛り上がりませんね。