昨日の落語会(アマの)で、「短命」という噺を聴きました。あらすじは次の通り。
大店の伊勢屋の養子が、来る者来る者たて続けに一年ももたずに死ぬ。今度のだんなが三人目。おかみさんは三十三の年増だが、めっぽう器量もよく、どの養子とも夫婦仲よろしく、その上、店は番頭がちゃんと切り盛りしていて、なんの心配もないという、けっこうなご身分。
先代から出入りしている八五郎、不思議に思って、隠居のところに聞きにくる。
「夫婦仲がよくて、家にいる時も二人きり、ご飯を食べる時もさし向かい。手と手が触れる。原因はそれだな」 八五郎、なんのことだかわからない。
「おまえも血のめぐりが悪い。いいかい、店の方は番頭任せ、財産もある。二人でしょっちゅう朝から退屈して、うまいもの食べて、暇があるってのは短命のもとだ」
三度も同じ事を言わせてようやく納得した八五郎、家に帰ると、「おい、夫婦じゃねえか。給仕をしろやい。おい、そこに放りだしちゃいけねえ。オレに手渡してもらいてえんだ」
三度も同じ事を言わせてようやく納得した八五郎、家に帰ると、「おい、夫婦じゃねえか。給仕をしろやい。おい、そこに放りだしちゃいけねえ。オレに手渡してもらいてえんだ」
ブスっ面で邪険に突き出したかみさんの指と指が触れ
「顔を見るとふるいつきたくなるようないい女……あああ、オレは長命だ」
「顔を見るとふるいつきたくなるようないい女……あああ、オレは長命だ」
この噺のような房事過多のため精根衰弱した症状を、江戸時代は「腎虚」(じんきょ)とされました。もっとも現代医学では腎虚という病名は無い。昔は藪医者が多かったため、正しい死因が特定できずに、「おそらく腎虚ですな」とされたから、江戸川柳にある「女房に恥をかかせる病なり」となる。
江戸の人たちは精液を腎水と呼んでいた。腎臓でつくられると信じていたことによる。精力の旺盛な人を腎張りと称し,逆に虚弱な人を腎虚といった。したがって腎虚は病名ではなくて症状であるとされる。豊臣秀吉の死因は荒淫による腎虚といわれている。
「鼻息で知れる隣の仲直り」 という江戸川柳がある。「熊さん、八つぁん」が住む長屋は、9尺2間といって、間口が9尺、奥行が2間の広さ、つまり入口と台所を含めてわずか3坪(6畳)しかない。更に棟割長屋は奥の柱を4家で共有するのだからより狭かった。江戸の町人のほぼ7割が、こうした長屋に住んでいたという。江戸は火事が多く、安普請のため壁が薄く声も筒抜けで、隣とも壁越しに会話できた。隣夫婦が今迄の罵声のやり取りに代わる床での息遣いまで筒抜けといった句です。隣がやもめ男だったら、たまったものじゃない。あるいは隣が同じ夫婦者であったら、刺激されて始めたりして、昔はテレビがあるわけじゃなし、なるほど腎虚が多いはずです。
江戸川柳における腎虚の句を拾ってみました。
「腎虚のくやみ羨ましそうに言い」
「腎虚をば堅っ苦しい奴が病み」
「その薬腎虚させ手が煎じてる」
「学者虚(きょ)して曰くすくないかな腎」
いうまでもなく論語の「巧言令色鮮なし仁」のもじりですね。