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Channel: 勢蔵の世界
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隠居論

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 「隠居論」
私は63歳だが、同世代の友人、知人にはすでに仕事を離れ、好きな事をやっている(あるいは退屈している)やからが少なからずいる。文字通りのゴクツブシである。今の日本には、こういう人間が何百万人もいる。年金がもらえて(もらうことができない人には生活保護があり)、年金受給は少ないと愚痴をこぼしながらも、ともあれ食うには困らない。
ずっと大昔、獣や魚を獲ったりして腹を満たしていた頃には、自分の食うものを自分で獲りに行けなくなるまで生きのびてしまった年寄りはどうしたのだろう。若い者たちはゴクツブシをどうあつかったのだろう。
 
以下、穂積陳重著 『隠居論』による。(穂積博士は安政3年生まれで。第一版が明治24年に出されというから古い本です。欧州の人類学・社会学からの研究)
有史以前、人類は働かない老人をどうあつかったか、穂積博士は「食老俗」「殺老俗」「棄老俗」「退隠俗」の順に論じている。人類がこの4段階の順に踏んでゆくとは限らないが、おおむねこの順にゆくという。
 
「食老俗」 文字通り年寄りを殺して食うことである。大昔は飢餓が多かった。その習俗を続けているうちに、もっともらしい理由が付き、それを信じて老人を食うようになる。それは老人の知恵や勇気を受け継ぐことである。心臓や胆、肝臓を食って、知恵や勇気を我身にとり入れる。そんな残忍な、と言うなかれ。日本でも薩摩では、勇者の肝臓を食す習俗が、明治まであったと海音寺潮五郎氏は語っている。
 
「殺老俗」 食老俗の進化したかたちですが、年寄りを殺すことは同じ。その理由はこの世からあの世までは遠い。これ以上体が弱っていてはあの世に到達できない。まだ元気があるうちに殺してやるのが親孝行である、というもの。今の欧州人はみな老人殺したちの子孫というわけです。年寄りになって殺されるのを待つより、いさぎよく死ぬのを(自殺するのを)名誉とする習俗がまた流行ったという。
 
「棄老俗」 老人を野や山に棄てる習俗である。老人はそこで死ぬほかないから結果として殺老とかわらないが、少々文明的である。日本でも信州に「姥捨山」伝説があり、実際に棄老があったというが、切ない話である。子は親を棄てたのだから、長じて自分もゴクツブシになれば棄てられるのを覚悟しているわけだ。
 
「退隠俗」 食物の生産性が高まることによって、年寄りは殺すことがなくなった。役に立たなくなった老人から家長権を剥奪して飯だけ食わしてやるというもの。
 
江戸時代の平均寿命は40代半ばだったという。乳幼児の死亡率の高さの影響が大きい。老人になるのも早く、40歳になると初老の祝いをした。当然隠居も早かった。
もと京都町奉行与力・神沢杜口は、40すぎに隠居してからのほうが長く、85で亡くなるまで随筆『翁草』200巻を書いている。平戸のもと殿様・松浦静山は50前に隠居、82で死ぬまで『甲子夜話』278巻を遺している。
 
ともあれ、食老俗や殺老俗の時代に生れあわせなくて、お互いさいわいでした。
 
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