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Channel: 勢蔵の世界
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いろは歌

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私事で恐縮ですが、先日、いとこの奥さんが逝きまして葬儀を終えました。彼女は静かな女性でした。私と同年だっただけに衝撃を受けた。中学時代はクラスメートだった。従兄は私より2歳上で幼い頃、我家に同居していたこともあり、兄弟同様に育った。私の人生は、ガキ大将の彼に子分のように付き従って遊び回るという記憶から始まる。
伯母(私の父の姉)は、看護婦時代に朝鮮戦争で傷付いた米兵を看護するうちに恋に落ち結婚する。夫がアメリカに帰国することになって伯母は日本を離れ難く離婚した。外国人がめずらしくない今では、ハーフは何とも思われないが、当時の田舎では「アイノコ」と呼ばれて、よく虐められたようだ。伯母は年金がもらえるようになった歳に逝き、彼は天涯孤独になったが、結婚して2人の子供を育てた。その子供達も結婚して巣立ち、奥さんは5年ほど前に脳梗塞で半身不随になり、彼はまめまめしく介護していた。我が女房は「あなただったらとてもあれだけできないわ」と感心していたが、愛する女房に先立たれてしまった。彼は「またひとりになってしまった」と肩を落としていた。葬儀の読経中に、なぜか「いろは歌」を思い浮かべた。
 
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
 
色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず 
 
 色は匂へど 散りぬるを
香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。
「諸行無常」をあらわすとされる。
 我が世誰そ 常ならむ
この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。
「是生滅法」(ぜしょうめっぽう)をあらわすとされる。
 有為の奥山 今日越えて
「有為の奥山」とは、無常の現世を、どこまでも続く深山に喩えたもの。「有為の奥山を今日超えた」というのだから、今日死んだということ。
「生滅滅己」(しょうめつめつい)をあらわすとされる。
  浅き夢見じ 酔ひもせず
死んでみてこれまでの人生を見ると、まるで浅い夢で酔っぱらっていたと思える。(今の悟りの世界に至れば)、もはや儚い夢を見るまい、酔いしれることもない安らかな心境であると言っているのである。
「寂滅為楽」(じゃくめついらく)をあらわすとされる。
 
 空海が創作者とされているが根拠はない。いろは歌はもともと真言宗系統の学僧のあいだで学問的用途に使われており、真言宗においてまず有名な僧侶といえば空海であるということから名が挙がった。それに用字上の制約のもとに、これほどすぐれた仏教的な内容をよみこめるのは空海のような天才にちがいないというもの。
 
 小学1年生の時に、「父や母の死」それに「自分の死」のことを想って泣いた記憶が鮮明にある。二宮金次郎の銅像脇の木陰の元で、とめどもなく涙があふれてきた。冒頭に「衝撃を受けた」と記したのは、自分と同じ時代を生きた彼女への同情とともに小学一年生の時以来、抱いている「死の恐怖」である。葬儀のたびに思う、「死んだらどうなるんだろう?」どのような宗教本も明確な答えなど記されていないし、そんな心配してもしょうがないことに気がついた。良寛和尚がおっしゃった。
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候」
 この言葉でずいぶん楽になりました。良寛和尚は好意を持っていた貞心尼に看取られ下痢の世話をしてもらいながら、最後のとき
 「うらを見せおもてを見せて散るもみじ」と詠んで逝った。人は糞にまみれて死ぬんですから、せめて女房にはやさしくしたいですな。
 
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