いまも女性が立ち入れない大峰山の入り口にある「女人結界門」↑
去年の秋から大相撲は叩かれ続けている。
今回は土俵上で懸命に救命活動する女性に「降りて」とアナウンスした日本相撲協会の対応が物議を醸している。大相撲は、スポーツの興行でありながら、加えて伝統芸能であり神事なのである。昔は富士山はじめ、山岳霊場の多くが女人禁制であった。かつての高野山もそうだった。
一般的には、男性が世俗の欲望を断ち切る修行の場に女性がいると妨げになるという考えと、女性特有の出産や月経に伴う出血を『血の穢(けが)れ』として不浄視するという説明がされる。
仏教には女人禁制はないようですが、修行を妨げるものであって(その存在自体が)、遠ざける必要があったのでありましょうか。
四国八十八ヵ寺を巡ったことがあるが、その一割ぐらいの寺が、人里離れた山頂や山腹にあるのもそのためであろう。
女人禁制がほとんどだった霊山への立ち入りは、明治5年(1872)に解除される。京都で博覧会が開かれるのに当たり、比叡山を訪れる外国人に遅れた風習を見せられないという文明開化を迫られた新政府の政策だった。
現在、女人禁制といえば、奈良・大峰山と、大相撲の土俵だけになってしまった。両者は女性からの非難に対して頑なに伝統を守っている。
協会は時代錯誤、女性差別と言われても仕方がないな、と思う。
多くの人は御存知ないが、江戸時代の相撲興行は、女性の見物は許されていなかった。それでも回向院境内が一杯になったというから興行には問題なかった。
明治5年11月に入って文明開化で女性も相撲見物できるようになった。それでも場所の初日はなぜか観戦できなかったが、5年後には全面解禁となる。伝統も時代によって変えていかなければならない。
昔から本場所では初日の前日に土俵祭で神を迎え入れ、千秋楽に神を送り出す行事をきちんと行い、土俵の聖域化を進めて権威を高めている。場所中の土俵には神が宿っているというが、巡業ではそこまで厳密なのだろうか。
一般で広く行われる相撲(アマ相撲)には女性も参加している。「女相撲」は江戸時代には興行が盛んだったという。もっとも盲人と相撲をとったり、甚句を唄ったり、また踊ったりして見世物に近かったのであろう。もちろん胸は隠さない。
江戸時代の川柳に、「えんとこう 鳥居の際で待っている」という川柳がある。
これだけでは何のことかわからない。「えん」と「こう」という女性が月の障りのため、神社の境内に入ることが出来ず、鳥居の横で知人の参拝するのを待っている、という情景です。江戸時代は、女性の月の障りのことをスラングで「えんこう」といった。「猿猴」とはサルのことです。
「猿猴捉月」(えんこうそくげつ) という言葉があります。猿が水面に映った月を取ろうとして枝が折れて溺死したという故事から、身のほどをわきまえず、能力以上の事を試みて失敗することのたとえをいう。
「猿猴捉月」(えんこうそくげつ) という言葉があります。猿が水面に映った月を取ろうとして枝が折れて溺死したという故事から、身のほどをわきまえず、能力以上の事を試みて失敗することのたとえをいう。
(私が思うに)この言葉から月をかけたのか、それとも猿のお尻が赤いからなのでしょうか。
お正月に伊勢神宮をお参りすると、そのおびただしい人の数に驚愕してしまう。昔は、外宮を参拝する前には宮川で、内宮は五十鈴川で身を洗い清め、禊(ミソギ)をしたそうである。ちなみに五十鈴川は、身すすぐ川から変化したものだという。
したがって神社の大小にかかわらず、月の障りの女性の参拝など、もってのほかのことであって、むろん、昔は女性も心得ていて、上記の川柳の様な情景となる。
江戸時代はもちろん、戦前くらいまで守られていたようですが、女性がパンツをはくようになると共に、とやかくいわなくなった。
今時、神社がそんなこと主張するものなら「時代錯誤だ」と、叩かれて賽銭激減になること必至であろう。