以下、池田弥三郎著『日本故事物語』による。著者の学生時代(慶応)にイーストレーキという英語の先生がいた。ある日、出席を取り終った途端に、大石という学生が遅刻して息せき切って教室に駆け込んだ。その時、間髪を入れず「遅かりし由良之介」と芝居のせりふもどきで言われたには、全く恐れ入ってしまった、とある。
言うまでもなく、芝居の大星由良之介は実説の大石内蔵之助ですね。塩冶判官(浅野内匠頭)の切腹の時刻が切迫し、判官は一目由良之介に会いたがっている。観客も判官の気持ちになって由良之介の登場を待ちこがれている。判官が短刀を腹に突き刺した途端に由良之介が花道を駈けつけ、息のあるうちに切腹の場に到着しているから間に合ったわけである。判官が「遅かりし由良之介」と言ったわけでもない。主役の由良之介は判官の切腹の場に初めて登場する。(11段中4段目) このこともふくめて判官も観客も、待ちに待たされ、いかにも由良之介の登場が遅かったと感じるのである。
「忠臣蔵」は歌舞伎の独参湯といわれているくらい名高く、人気があった。
(独参湯=どくじんとう・朝鮮人参の一種を煎じてつくる気付け薬。よく効くところから、客入りの悪くなったときに起死回生の薬として、大入り確実であった)
忠臣蔵は「仮名手本忠臣蔵」と呼ばれた。「仮名手本」とは、いろは四十七文字のことで赤穂四十七士をいう。同時に人の手本、鑑ということであろう。忠臣蔵というのは、忠臣の詰まっている蔵という意ですね。
大石内蔵之助、浅野内匠頭という実名を避けたのは、これは公儀に対しての遠慮ですね。時代も鎌倉時代としてあり、こうするのは当時の常識です。
これで、やめればいいのですが、品格を落とすであろう、バレのパロディを加えたくなる。これまでがマクラかもしれない。
由良之介は討入り前に、最後の挨拶をするために顔世御前(判官未亡人)のもとを訪れた。御前の孤閨をなぐさめんと、手みやげに張形を桐の箱に入れて差し出した。
(説明するも野暮ですが、張形=男根の形をした性具のこと。主に木や陶器、高級品となると水牛の角や鼈甲製もあった)
箱のふたを開けて御前、驚喜する。
「な、なんとこれは!女心を知りたるそなたの心遣い、わらわは、いと嬉しく思いますぞえ。ちと、待っておじゃれ、さっそく具合をためしてみるゆえ」
と次の間に入っていく。
「ん~ん」
「いかがでござりましたでしょうか?」
「細かりし、由良之介!」