『深代惇郎の天声人語』(朝日新聞社)を読んだ。昭和48年というからずいぶん昔です。次の天声人語が、すこぶる面白かったので転載させていただきました。長くなりますが、2話続けてご覧になってください。
盗聴テープ
大きな声ではいえないが、ふとしたことで盗聴テープが筆者の手に入った。驚いたことに、先日の閣議の様子がそっくり録音されているのではないか。そのサワリを、こっそりご紹介しよう。
テープを信用できるなら、この日の閣議の話題はやはり田中内閣の人気であった。内閣支持率は二十%台を低迷し、神戸市長選も敗れた。「“世界の田中”になり、大減税、新幹線計画も持ち出したのに―」という嘆息が、まずきこえた。「やはりインフレが痛い」「評論ではなく、案を出してほしい」。首相の声も心なしかさえない。
そのとき「ゴルフ庁はどうか」という声が出た。「ゴルフ人口は一千万人、低くみても六百万人、参院戦前に放っておくテはない」と熱弁を振るっている。「『赤旗』もゴルフ記事を出しているね」という声は官房長官らしい。
「尾崎将司の立候補打診をすべきだ」という人もいた。ゴルフ減税、総理大臣杯などの案が出た。「長官をだれにするかね」「やはりホールインワンの総理兼任でしょう」「いや、本場のイギリスでのスコアがお恥ずかしい」と、首相はめずらしく反省の様子だ。
「石原慎太郎君はどうだ」「彼は飛ばしすぎだ」。話は決まらずに、次にゴルフ庁の構成に移った。たちまち役所の陣取り競争だ。「バンカーがある」といっているのは建設相らしい、芝生を力説しているのは環境庁長官。農地転用を指摘するのは農相。娯楽遊興税について、蔵相が弁じている。
キャディーの労基法を労相が一席。官庁ゴルフを行政管理庁長官。レクレエーションの元締めだ、とがんばっているのが文相。結局「ゴルフ庁設置に関する審議会」を設けるところで、テープは終わっている。あのテープ、どこにしまったのか、その後いくら捜しても見つからない。
(昭和48年10月31日) 続・盗聴テープ
きのうの本欄で「大きな声ではいえないが―」と、盗聴テープによる閣議の話を書いた。「大きな声でいえない話」を新聞に書くはずもない。「読者にこっそりご紹介する」と書いたのも、「こっそりの話」を活字にするわけがない。
だから初めからユーモアとして読んでいただけると思ったら、二階堂官房長官から本社あてに、厳重な申し入れ文書がきた。以下、その全文をご紹介するが、これは「架空申し入れ」ではないことを、念のためにお断りしておく。
「十月三十一日付朝日新聞の朝刊『天声人語』欄に盗聴テープによるものとして、最近の閣議の様子があたかも真実であるかのごとく述べられているが、これは一切事実無根であり、国政の根本を議する閣議について、国民に重大な誤解と疑惑を与えるものである」
つづいて「政府はこれを看過できない。貴社において、右記述の是正はもとより、閣議に対する国民の誤解を一掃するための完全な措置をとられるよう厳重に申し入れる」というものである。政府が迷惑をこうむったというならば、申し訳ないことだが、冗談が事実無根であることを確認するには、やはり「あの冗談は冗談でした」というほかはない。
実は米国ジャーナリズムの読み物の一つは、コラムニストたちの時事問題の創作である。大統領や閣僚たちの会話を作り上げたりして、そこに盛られた風刺やジョークで読者を楽しませる。本欄の架空閣議の話は、読者にはなじみにくかった面もあるようだ。 (昭和48年11月1日)
追記・早速ニューヨークタイムズが反応した。「ジョークを真に受ける馬鹿。ゴルフ庁のジョークに怒る」 田中内閣は抗議によって、自分たちのコッケイな姿と、文化と教養の低さを天下にさらすことになった。
http://history.blogmura.com/←にほんブログ村歴史ブログ
深代惇郎が5代目天声人語の書き手として、「天下の朝日新聞」の看板コラムを担ったのは、1973年2月から1975年11月1日までだった。彼はその1ヶ月半後、急性脊髄性白血病でこの世を去ってしまう。1975年12月17日・享年46。
深代の告別式において、社長の広岡知男は弔辞の中でこのときの騒動に触れ、「政府、自民党が激昂した時、彼は私の希望を入れて、あれは冗談でしたと釈明する天人を書いてくれましたが、その素晴らしい表現には、私はただただ驚嘆するばかりでありました」と述べている。