←Rosa Parks 1955年撮影
(背後に立っているのはマーティン・ルーサー・キング)
1955年12月1日18時頃、アメリカ・アラバマ州モンゴメリーで、百貨店の仕事を終え、帰宅するためにバスに乗った、ひとりの黒人女性がいました。ローザ・パークスさん、当時42歳。
当時のアメリカ南部は、バスやレストランなど公共の場所で、人種分離制度が実施されていました。バスの中では、白人席と黒人席、中間の席は白人がいない時は黒人も座っていいことになっていました。ローザは、黒人席が一杯だったので、中間席に座りました。そのうち、白人が乗ってきはじめ、運転手が中間席に座っている黒人に立つように命じました。座っていた黒人4名中3名は席を空けたが、彼女は立たなかった。運転手がローザのところにやって来て「なぜ立たないのか」と詰問し、席を譲るよう求めたが、ローザは「立つ必要は感じません」と答えて起立を拒否した。そこで、運転手が警察に通報し、彼女は市条例違反で逮捕された。ローザは「どうして私が連行されるのか」と質問したが、警官は「知るもんか。でも法は法だからな。お前は逮捕されたんだ」と返答した。警察署での逮捕手続きが終わると一旦は市の拘置所に入れられたが、即日保釈され、やがてモンゴメリー市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告される。
ローザ逮捕の報せが伝わると、モンゴメリーのバプテスト教会に着任したばかりで当時26歳だったマーティン・ルーサー・キング牧師らが中心となって黒人差別を撤廃する抗議運動を始め、モンゴメリーのすべての黒人にバス・ボイコット運動を呼びかけた。(以前にも黒人が同様に逮捕されていたが素行の悪い者が多く、運動としては盛り上がらなかった) 黒人たちは、バスを利用せずに歩いたり、黒人の車に同乗するなどしてバス・ボイコット運動を381日間展開しました。利用者の75%以上を占めていた黒人たちがバスを利用せず、黒人の車に同乗したりどこへ行くにも歩いたりしたため、バス路線を運営するモンゴメリー市は経済的に大きな打撃を被った。
そして最高裁が、黒人差別は憲法違反だという判断を下し、ローザは「アメリカの公民権運動の母」と言われるようになりました。ローザは、その後も黒人差別をなくす運動に力を注ぎ、1966年には、最も偉大なアメリカ市民に贈られる「大統領自由勲章」を受けました。
そして最高裁が、黒人差別は憲法違反だという判断を下し、ローザは「アメリカの公民権運動の母」と言われるようになりました。ローザは、その後も黒人差別をなくす運動に力を注ぎ、1966年には、最も偉大なアメリカ市民に贈られる「大統領自由勲章」を受けました。
デトロイトの自宅でローザは92歳の生涯を閉じました。彼女の追悼式に出席した人の中には、当時の国務長官・黒人のライス長官がいました。そして、このように追悼の言葉を述べたそうです。「私はバス事件の前の年にアラバマ州で生まれました。パークスさんがいなければ、今日、国務長官として、この場に立てなかったかもしれません」と・・・。
勇気と希望を持ち、人間としての誇りを大事にした、ローザ・パークスさん。
ひとりの人間の勇気が、アメリカという国家までも変えた話です。
ひとりの人間の勇気が、アメリカという国家までも変えた話です。
(参考 FM・FUKUOKA AND wikipedia)