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Channel: 勢蔵の世界
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「昨日の敵は今日の友」

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「事実は小説より奇なり」とは、イギリスの詩人バイロンの作品「ドン・ジュアン」中の一節から生まれた表現なんだそうですが、次のような「昨日の敵は今日の友」といったこともあるんですね。
以下平石弁蔵著『会津戦争』河原勝治翁談より(byHP・戊申戦争百話)
 
(会津藩の)小原砲兵隊の一人たりし奥田鉱太郎、一日鐘撞堂の土堤に哨兵として立番中、白昼大町通りを駆走にして再三横切る者ありければ、再び来らばこれを撃たんと狙を定め待ち居る中、果して来りければ直ちにこれを撃ちしに、命中せしと見えその場に倒れたり。
明治5年に至り、彼は邏卒(今の巡査)の募集に応じて上京し、芝愛宕下の元仙台屋敷にて同僚の薩人某(名を忘る)と同居中談会々戊辰戦争に及びしが、某腰部の弾痕を示して曰く、或日士族屋敷の池に多数の鯉の泳ぎ居るを見、之を捕らんと此処彼処と蚊帳を捜せど見当たらず、その向ひ屋敷に至り蚊帳を発見し之にて捕らんと、喜び勇んで走り来りたるその際に撃たれたるものなりと、彼は其場所及時刻等を仔細に聞きたる後、それは私の撃ちたる弾丸なりとて、双方大に笑ひ之より親交一層深きを加へたりという。
 
本四ノ丁の石山九八郎、当時十三才なりしが、(会津若松城に)籠城中城外に分捕りに出でたるまま、遂に帰らざれば、敵に惨殺されたるものとのみ思ひ居たりしに、開城の際突然帰り来りたれば、皆大いに安堵せり。石山の話によれば薩人小倉某のために捕へられたれば、いかなる憂目を見る事かと思ひたるに、案に相違し日々大に馳走せられ全く敵の中に居る様な感をなさゞりしといふ、尚薩人は若松は鶏、鯉、柿、栗其他野菜の産出豊富なれば食物には毫(ゴウ・ほんの少し)も不自由なく、且つ酒もまた鹿児島のものとその味を同じうすと大に喜び居たり云々
 
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