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Channel: 勢蔵の世界
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白菜のこと

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鍋に欠くことのできない白菜、それに食卓に白菜漬けや大好きであるキムチがあるだけで食が進む。今の我々にとって馴染み深い白菜であるが、日本人にとって意外と歴史が新しいのです。江戸時代、明治時代には白菜がなかったといえば、「うっそー」と言われそうです。
特に目立った栄養は無いようですが、抗がん作用のあるイソチオシアネートが豊富であるという。だからといって、がん予防のためといって食す人はあまりいない。

 英名を「Chinese Cabbage」と言う様に、中国で古くから栽培され、改良されて現在の白菜が出来上がりました。華北、特に、その北部地方で、いわゆる北方系品種群が生まれました。
 
明治に入って、政府試験農場で白菜作りを試みたが定着しなかった。普及のきっかけとして、日清・日露戦争に従軍した農村出身の兵士たちが現地で食べた白菜の味を気に入って持ち帰ったから、と言われているが、各地で栽培が試行されたもののほとんどは品種維持に失敗したと見られる。栽培には成功しても、その白菜から種子を採ると、白菜が体菜やシロナに化けてしまうのです。採種した種子を畑に播いても、結球白菜は出来なかったのです。何故なら、その当時は今と違って、春になると、一面の菜の花畑が、日本中どこにでも見られました。元々、白菜は、カブや小松菜、ナタネと親戚です。その花は、よく似たカブやナタネ(菜の花)と簡単に交配してしまいます。そのため、出来た種子は純粋の白菜の種子ではなくなってしまい、結球する事を忘れてしまうのです。浮気者の白菜は、すぐ他のアブラナ科の野菜と子を作ってしまうのです。
 
明治末期から大正にかけて、宮城・松島湾の馬放島という小島で隔離育種に成功。農家は島で採取した種を得て栽培し、仙台白菜の名で出荷した。
同時期に名古屋市中川区で野崎徳四郎氏が山東白菜の改良を進め、現在のように結球する白菜ができたといわれている。
 昭和に入って石川県でも栽培が軌道に乗り、これで現在の主要系統である松島群、野崎群、加賀群という三大品種群が作り出されたことになる。
 そんなわけで、大正時代にはまだ少量しか出廻っていなかったようで、小説家・獅子文六氏(私の祖母と同じ年代を生きた)は、白菜は「異国の味」を感じさせる野菜だったと記しています。
 
若い時にサンフランシスコに行ったとき、スーパーで白菜は「napa cabbage」と表示されて売られていた。白菜は、漬物や火を通す料理が日本では多いが、アメリカ人はサラダとして生で食すことが多いという。ナパ(Napa) は、カリフォルニアワインの一大生産地として有名である。チャイニーズ系労働者が、ぶどう園で働くかたわら、故郷を偲んで白菜を作ったのがはしりであろうと思って、サンフランシスコに住む関西出身の友人に尋ねてみたことがある。
 「ちゃうがな、白菜、日系人が育てなはった。ナッパ言うたんが、名前になったんよ」
 
江戸時代の川柳に 「親のすね かじる息子の 歯の白さ」 という句があります。遊んで身綺麗にしている若い男を皮肉ったものですが、そこで一句作りました。
「キムチ好き 食した後は 歯くさい」(白菜に掛けた) これはキムチ大好きな私のこと。 
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