パソコンの不調と、多忙(趣味と仕事)につき、ご無沙汰いたしました。最近は根性がなくなり、(老いのせいにしたくない)就寝する時間がめっきり早くなってしまいました。以下、最近印象に残った「老い」に関する言葉を掲げます。
☆笹野高史が、津川雅彦とレストランで食事した時、津川はデザートを3品も注文した。デザートは1品だと思っていた笹野はびっくり。津川いわく「先が長くないから、好きなようにするんだ」(週刊誌から拾いました)
☆うらやましがることは時間の無駄である。もうすでに必要なものは持っているものだ。それにどんどん年齢を重ねることは、その反対よりずっといい。若くして死ぬよりだ。
どんな災いも、次のセリフで閉じ込めてしまえ。「5年経ったらこれはそれほど大事なことなのか?」(90歳の老人の教訓)
☆多くの人々は自分の財産や名声や地位を得るために全力投球している。それなのに、財産やお金よりも大切な、自分の命のために全力投球している人は少ない。
なぜ、その大切な命のために、時間と財産を提供しないのか、そうして安全に確保された命を思いきり有効に使おうとしないのか。
自分の命を、自分で格調高く保つための勉強を、めいめいがもっとしなければならない。(日野原重明の言葉)
☆誰しも幸福を望みますが、それを実感することにおいてはきわめて鈍感です。(日野原重明の言葉)
☆「歳をとったら女房の悪口を言っちゃいけません。ひたすら感謝する。これは愛情じゃありません。生きる知恵です」
下町のさんざん道楽をした果ての頭がしみじみと言った言葉。この夫婦が喧嘩ばかりしていたことは町内で有名だったが、今は仲の良い夫婦として評判である。夫婦喧嘩というのは、それが理由で別れる場合もあるし、日常の暮らしに組み込んで活力にしている場合もある。
結論として、最後に笑えればそれが幸福というものだろう。
永六輔著『大往生』
☆「ハゲになったり、白髪になったりして嘆くことはありません。ハゲたり、白くなったりするまで生きられたと思えばいいんです。
永六輔著『大往生』
昔は四十歳になると「初老」といい、芭蕉は五十を前にして「芭蕉翁」を名乗っている。落語に登場する「御隠居」も、おそらく四十代もいたでありましょう。以後「五十の賀」を経て、六十歳にして「還暦」を迎えます。
七十歳は「古希」。唐の詩人杜甫の「人生七十古来希なり」の言葉が由来ですが、今では死語ですな。
☆(最後にジョークをひとつ)
病院におじいさんがやって来ました。
「先生、こないだの検査の結果はどうでした」
「はい。あなたにいい知らせと悪い知らせがあります」
「なんと。じゃあまずは悪い知らせの方から教えてください」
「あなたはガンであと1年の命です」
「ええっ!そ、そんな…。なんてことだ!あと1年ですと?つらい、つらすぎる。いったいこれからどうしたらいいんだ。先生!じゃあいい知らせってのは何ですか」
「あなたはアルツハイマーにもかかってます。もうじき全部忘れます」