『タイムマシン』『透明人間』『宇宙戦争』などの空想科学小説を著し、「SFの父」と呼ばれるのが、イギリスの小説家ハーバート・ジョージ・ウェルズ、通称H・G・ウェルズです。
彼は、29歳で作家になり79歳で亡くなるまで百冊近くの本を出しましたが、それはSF小説に留まらず純文学や社会小説、文明評論の論文まで幅広く、一旦アイデアが浮かぶと食事中だろが真夜中だろうが、すぐに原稿用紙に向かいました。また彼は第一次世界大戦の後、戦争を無くすために国際連盟の樹立を提唱。論文を書いて講演旅行をし、国際会議にも出席しています。
そんな多忙なウェルズに常につきまとったのは病気。若い頃から気管支炎や神経炎、心臓病、腎臓病、糖尿病などに悩まされ、次々に発症する病気とも忙しく戦いながら、多忙な人生を過ごしたのです。最後にウェルズを襲ったのは肝臓癌。日に日に衰えていった彼は誰とも会わずに自宅に寝たきりになっていましたが、ウェルズ危篤の知らせを聞いた親しい人たちが駆けつけました。
枕元を囲んだ人たちが「しっかりしろ」「頑張れ」などと励まします。するとウェルズはちょっと迷惑そうな顔をしてひと言。
「わしは今、死ぬのに忙しいのだ」
そうつぶやくと、そのまま目を閉じて忙しい人生の幕を閉じたのでした。
「わしは今、死ぬのに忙しいのだ」
そうつぶやくと、そのまま目を閉じて忙しい人生の幕を閉じたのでした。
以上 参考「FM・FUKUOKA」
彼のSF小説は、若い頃夢中で読んだものでした。
ということで、有名人の気の利いた「最後の言葉」を集めてみました。
「死んでつく 地獄の沙汰はともかくも あとの始末が金次第なれ」
「我死なば 焼くなうめるな野に捨てて 飢ゑたる犬の腹をこやせよ」
安藤広重 (61歳没)
「我死なば 焼くなうめるな野に捨てて 飢ゑたる犬の腹をこやせよ」
安藤広重 (61歳没)
安政5年夏から秋にかけて江戸にコレラが流行し、府内の死者2万8千人に及んだ。『東海道五十三次』の広重もコレラにかかった。死を覚悟した広重は、この辞世とともに遺言を書いた。「・・・・何を申すも金次第、その金というものがないゆえ、われら在じ寄りなんにもいわず、どうとも勝手次第身の納り、よろしく勘考いたさるべく候」 金を残してやれないから自分には何をいう資格もない。あと家族は何とかして生きていってくれという、無責任にして、哀切な遺書である。広重ほどの大家が、金がないと嘆いているのに驚く。いかに多くの人が、同様の思いをいだいて死んでゆくことか。
私は死を覚悟したら、せめて感謝の言葉を遺して逝きたいと常々思っていますが、死を前にして意識あるうちに気の利いた言葉は残せないものです。私の父も母もそうでしたが、大概の人は自分が死ぬとは露ほども思いっていないからと思うのです。そのうち意識がなくなり息が止まる。
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大田南畝(蜀山人) 75歳没