Quantcast
Channel: 勢蔵の世界
Viewing all articles
Browse latest Browse all 253

 「ゆるやかなボール」

$
0
0

イメージ 1
  清水選手(左)とチルデン(右)『HP・清水善造の生涯』より

 「ゆるやかなボール」

1920年、テニスのウィンブルドン選手権に日本人として初めて出場したのは、清水善造。学生のころからテニスを始め、その後商社マンとして働くアマチュア選手でした。
当時は、決勝の勝者が前年のチャンピオンに挑戦するチャレンジ・ラウンドという制度でしたが、彼はこの初参加のウィンブルドンでいきなり決勝まで勝ち進んでいったのです。その強さとともにスポーツマンシップにあふれた潔いプレイぶりが評判となり、そのにこやかな笑顔から、観客たちは「スマイリー・シミー」という愛称をつけて清水を応援するほどの人気でした。
そして迎えた決勝の対戦相手は、全米トップの強豪チルデン。その第3セットのラリー中にチルデンの足がもつれ、打ち返すと同時に右コーナーに倒れてしまいました。返ってきた球を清水はどう打ち返すか・・・。左サイドへ強く打ち込めばよいのですが、チルデンも当然その事は予想して、起き上がりざま左へ走るはず。ならばその裏をかいて・・・。その一瞬の迷いのために、清水が打ったボールはチルデンの倒れていた右へゆっくりと円弧を描いて飛んだのです。起き直ったチルデンが激しく打ち返したその球は、清水のわきをすり抜けていき、これをきっかけに清水は試合に負けてしまいました。
 しかし、このプレイを観ていた観客たちには、倒れたチルデンが起き上がって打ち返せるように、ゆっくりとした球を送ってやったと映ったのです。それは偉大なフェアプレイとして日本にも伝えられ、学校の教科書にも美談として紹介されました。「そんなつもりではなかった」とずっと否定していた清水選手。その真偽はともあれ、彼はそのとき戦ったチルデンとは親友になり、その友情は生涯続きました。
                                            以上参考「FMFUKUOKA
清水善造氏(1891- 1977)は群馬県出身。高崎中学時代、父親との約束で学費の足しにと、乳牛の世話を一手に任された。下校時に鎌を右手に、乳牛用の飼料採取作業である草刈りをしながら、15kmの道を帰ってきたという。この作業により、強靱な手首の筋力が培われ、ひいては脚力の持久性も養われたという。尚、 現在は高崎高校(旧高崎中学)の校庭片隅に、清水を称えた石碑も残されている。
 
        http://history.blogmura.com/にほんブログ村歴史ブログ 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 253

Trending Articles