「雨ニモマケズ」は、宮沢賢治の没後に発見された手帳に記された詩で、広く知られています。私にとって、とても思い出深い詩です。
というのは小学校6年生のときに、この詩のパロディを作った。そのパロディを、担任のT先生がいたく気に入ってしまって、挙句、学芸会に朗読するはめになってしまったのです。
「雨にもまけて、風にもめげて、・・・・・東に病気の子供あれば医者が悪いといい、西に疲れた母あればそのすねをかじり、南に死にそうな人あれば寿命だといい、北にケンカや訴訟あれば、やめるな続けろと言い・・・・・」といった他愛もないものです。まだ原文を朗読したほうがましで、気が進まぬまま舞台に立った記憶が残っています。余計なことながら原文を掲げます。
「雨ニモマケズ」(原文)
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
宮沢賢治がこれを書いたのは、昭和6年(1931)11月3日です。花巻の実家で床に伏せる日が延々と続いた。肺炎です。「丈夫ナカラダ」を持つことができずに、おそらく、死に対する不安を抱えながら綴ったのでしょうか。
「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ」というフレーズは、好きですね。私欲や我執があるうちは、とてもこんな気持ちになれませんね。病床で死を覚悟しているから言うことができるのでしょう。
気になるフレーズがある。「南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ」とは、自身が求めていることなのでしょうか。しかし「恐がらなくていい」というだけでは、逝く人にたいして説得力はありませんね。来世というものを信じて、再び生まれ変わって、転生するという確信を持って説かなければならない。まあ私の父母もそうでしたが、(癌でなければ)自分が逝くなんてことは露ほども思わぬ人が多いから「(死を)恐がらなくていい」とは余計なことかもしれない。
「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と結んでいるが、「元気なうちは、そんなものになれるものか!」と叫んでしまうのである。
「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と結んでいるが、「元気なうちは、そんなものになれるものか!」と叫んでしまうのである。
昭和8年9月21日、宮沢賢治は満37歳で没。